こんにちは。桃花です。
『夏の夜の夢』千穐楽おめでとうございます!!(大声)
中止になってしまった公演もありましたが、無事に千穐楽を迎えることができて本当に良かったです。演者の皆様、本当にお疲れさまでした。そして素敵な夢をありがとうございました。
さて先日『夏の夜の夢』の感想ブログを書きましたが、今回は考察ブログです。
前回のはこちら↓
今回の舞台『夏の夜の夢』は登場人物や設定はシェイクスピアの原作そのまま、世界観を日本に落とし込んだものでした。
観劇する前に原本になっている河合洋一郎先生の訳本を読みましたが、舞台を日本に移すということがいまいちピンと来ていませんでした。
そして河合先生の講義も視聴した上での観劇。
なるほど、こういうことなのかと思いつつ、最初に見た時は「ん?」となる点もいくつかありました。
しかし複数回観劇すると色々なことが見えてくるわけで、見るたびに新たな発見があり、その分考察も膨らみました。今回はその考察についてだらだらと書いたブログです。
そうはいってもなんとなくでしか考察できてないので、観劇してない人からしたら「なんだそれ?」ってなると思います。あと大変薄いです。このレベルの考察、おそらく多くの人がすでにしています。ただの自己満備忘録なのでご容赦ください。
『夏の夜の夢』が始まるまで
まず『夏の夜の夢』という劇が始まるまで、もっと言うとテーセウスとヒポリュテの会話が始まるまでの話から。
まず少年による三番叟が始まります。実はこの三番叟をやっているのは後に劇中でパックの分身を演じる少年です。
三番叟が終わると怪しげな音楽が流れる中、山から演者たちが下りてきます。この時、演者たちは衣装に笠を被っています。
パックは車椅子に乗っており、ライサンダーが車椅子を押します。
ここでの疑問点は
・パックが車椅子であること
・ライサンダーが車椅子を押していること
・パックの分身と三番叟が同じ演者である意味
以上三点です。
ライサンダーの左手首
劇中の衣装としてライサンダーは左手首に包帯をしています。これは演じている髙地くんが怪我をしているのではなく、ライサンダーが心に傷を抱えているという裏設定に基づくものです。
ここである疑問が浮上します。それは「本当にライサンダーが心に傷を抱えているのか?」ということです。
最初に触れた通り、この『夏の夜の夢』は人々が『夏の夜の夢』を演じるという劇中劇の形をとっています。つまり、"ライサンダーを演じている青年"が存在するということ。
私は心に傷を抱えているのはライサンダーではなくこの"ライサンダーを演じている青年"なのではないかと思います。この考察に行きついた人は多いはず
ただ疑問点がもう一つ。「ライサンダーは本当に心に傷を抱えていないのか?」です。
仮に左手の包帯は"ライサンダーを演じている青年"が抱える心の傷を表したものだとしましょう。そうだとして逆にライサンダーは何も傷を抱えていないのかということになります。
私はライサンダーも何かしら心に傷を、あるいは闇を抱えているのだと思います。
劇中、ライサンダー達若者四人がテーセウスに跪く場面があるのですが、その時ライサンダーは左手を前に出さず背中に回していました。ディミートリアスは前に出していたのに。このことからライサンダーには何かしらで左手を人前に見せたくないという潜在意識があったと考えられます。この潜在意識が"ライサンダーを演じている青年"のものなのか、ライサンダーのものなのかは分かりません。しかしどちらの可能性も在り得ると私は思います。
惚れ薬を塗られてから、ライサンダーとディミートリアスはヘレナを巡って決闘をしようとします。
この時ライサンダーは「畜生」と悔しがります。ディミートリアスはどちらかというとライサンダーを煽って見下しているのに。ここからライサンダーは何かしらでディミートリアスに対して劣等感を抱いているのではないかと考えました。
だからきっと、心に闇を抱えているのは"ライサンダーを演じている青年"であってもライサンダー自身も何かしら闇を抱えている設定なのだと思います。でもこれはシェイクスピアに聞かないと分からない。
そもそも闇の無い人間なんていない気がしますが。
まとめ(無理矢理)
このように『夏の夜の夢』は劇中劇であり,1回で沢山の角度からあらゆることを考えさせられる,そんな舞台だったと思います。
観劇からもうすぐ1年経ちますが()あれほど複数回見て夢中になった舞台は後にも先にもこの舞台だけになると思います。
*1
こんな素晴らしい舞台出会わせてくれた髙地くんには感謝でしかありません。
またいつか,素敵な夢が見れることを願って,このブログの締めとします。
最後まで読んでくださりありがとうございました!!
*1:このブログを下書きのまま1年近く放置して,1年後の今無理矢理完成させようとしてます